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MUZA音楽サロン『La Vie en Rose 人生に華やぎを』

11月25日、神奈川のミューザ川崎にて開催された、
MUZA音楽サロン『La Vie en Rose 人生に華やぎを』に伺って参りました。

初めての神奈川県ということもあり、様々な期待を胸に会場へ向かいました。
途中、ポプラで念願の「ももねこ様シュー」を買ったり、
ミューザ川崎の中にある某ショップで買い物をしたりして、
どんどんテンションが上がっていきました。

さて、この「MUZA音楽サロン」とは、
川崎市のフランチャイズオーケストラである東京交響楽団のメンバーによる室内楽演奏や、
ゲストによるトーク、休憩時のお茶やお菓子を楽しんで頂きたいと企画されたもの。

今年度第2回目となる今回のゲストは、作曲家の西村朗氏。
現代音楽に親しみの無い方でも、Eテレで放送している『N響アワー』の司会者と云えば、
分かる方がいらっしゃるかも知れません。

告白致しますと、私の音楽の8割程度は西村氏の影響で出来ております。
初めて強く意識した現代音楽の作曲家であり、
現代音楽の楽譜との初対面も、西村氏のオーボエ協奏曲《迦楼羅》でした。
きっかけは、私が尊敬する田中公平先生のインタビューに名前が出て来たこと。
お二人は同じ大阪出身で、共に東京藝術大学で学ばれた同級生。
現代音楽どころかクラシックすら殆ど聴いたことの無い状況で、
私は西村氏の音楽の魅力に、どんどん取り憑かれていきました。
クセナキスやペンデレツキの影響を強く受けながらも今の作風に至った、
その過程にも大変興味がございます。
私が西村氏の影響下にあっても東アジア的アプローチを前面に出さない、
寧ろ意図的に避けている理由も、実は、ここにあります。

自白致しますと、こんなに好きなのにも拘わらず、
西村氏の音楽をこれだけまとめて生で拝聴出来る機会は、これが初めてでした。
個別に聴くのも、昨年末の京都市芸大での《ケチャ》以外では、
鹿児島県の合唱コンクールで幾つか聴いた程度。
なんと恥ずべきことでしょうか。
西村氏の大ファンだとなかなか公言出来ない理由も、ここにあります。

今回の公演のタイトルは「西村朗、自らの音宇宙を語る」
演奏されたのは、以下の5曲。

 《ヘイロウス(光輪)》 トランペット:曽我部清典、ピアノ:中川俊郎
 《星の鏡》 ピアノ:飯野明日香
 《龍の笛》 フルート:甲藤さち
 《迦楼羅》 オーボエ:篠崎隆
 《アリラン幻想曲》 ピアノ:飯野明日香

眩暈がしそうな程に豪華で贅沢なプログラム!
どれもCDやNHK-FM『現代の音楽』を録音したMD、スコアで親しんでいるものばかり。
そして、上述の通り、生で拝聴するのは、どれも初めてのことでした。

1曲目の《ヘイロウス(光輪)》から、大変なことになっていました。
ご存知の方も多いでしょうが、この曲のピアノには、
ソステヌート・ペダルによるダンパーの開放が設定されています。
そして、この準備はかなり大変な場合があります。
今回も、4人掛かりで、沢山の時間を掛けて入念な準備が行なわれました。
貴重な光景だったと思います。
(詳しくは、ミューザ川崎シンフォニーホールのオフィシャルブログをどうぞ)

会場がシンフォニーホールの市民会議室という、150席程度の場所だったこともあり、
残響はそこまで無いものの、演奏を間近で聴くことが出来ました。
特に、ピアノの低音弦への共鳴、トランペットによるピアノの共鳴など、
こんな豊かに聴こえたことは今までありませんでした。
いつも曽我部さんと中川さんによるCDで愛聴していることもあり、
生で拝聴出来た感激と云ったら!
この曲を敬愛している理由の一つが、
「トランペットがミュートを使用しないこと」なのですが、
それは曽我部さんの演奏があって初めて成立することなのでしょう。
徹頭徹尾、絶妙な音楽を聴かせて下さいました。
中川さんも「今日の演奏が今までで一番だったのでは」と仰っていました。
カロフォニー的変形が大きく加えられたビザンツ聖歌の痛ましさ、それに対する光輪。
深い悲しみに満ちながらも、大変美しい演奏でした。

《星の鏡》《アリラン幻想曲》も、
ソステヌート・ペダルによる同様の効果が用いられます。
ただ、後者は、スコア上では曲の途中からなのに、冒頭から開放されていたような。
準備の問題だったのか、そのように改訂されたのか。
この2曲も私にとって大切な作品で、共に影響を受けております。
《アリラン幻想曲》に対抗して、ご当地ものでは決してないのですが、
鹿児島の2つの民謡をパラフレーズ的に変奏する独奏曲を昨年書きました。
ただ、某国際コンクールで落選した上に、
思う所もあって、お蔵入り状態になっています。
しっかりを朱を入れて、いつか初演の機会を作らなくてはなりませんね。
(鹿児島に所縁のあるピアニストでなくても良いと思うのですが、如何でしょうか?)

《龍の笛》《迦楼羅》からも、影響を強く受けております。
特に後者は、上述の協奏曲の独奏版ということで、愛着が湧かない筈がありません。
拙作のフルートとオーボエに出て来る要素の殆どは、この2作品で学んだものです。

公演の最後には、質疑応答が設けられました。
先ず口火を切ったのは、東京交響楽団の関係者の方。
中川俊郎さんのスコアに苦労した経験から、スコアに対する考えを質問。
西村氏のスコアは、音符以外では余り多くのことが語られていないように見えます。
プログラムノートにも「聴けば分かる」ことだけが書かれています。
「レコード芸術 2008年6月号」でヴァイオリニストの佐藤俊介氏が語っていますが、
例えば、32分音符の速い部分であっても、
西村氏は実際には強く重くという感じで考えていたりするそうで、
佐藤氏が「それではpesanteの指示を入れたらどうでしょうか」と提案した所、
西村氏は「楽譜を読み取れない人はどう書いても読み取れないから、
ある意味それは演奏家の判断と音楽性に任せる」と仰ったそうです。
佐藤氏によると、ベートーヴェンもメトロノームの数字に関して、
同様の発言をされていたそうです。

私は、このような西村氏のスコアの書き方、レトリックに強く感化されています。
ただ、疑問点が無い訳ではありません。
演奏家と世代が大きく違ったり、生まれ育った国が違ったりした場合、
そこに齟齬は生まれないのだろうか。
見方によっては、余りに不親切なスコアだと受け取られるのではないだろうか。
espr.と単に書いてあるだけだと、演奏家は戸惑ってしまうのではないだろうか。
最近ではカール・ライスターなど、海外の大物に演奏される機会の多い西村氏は、
一体どのように上演までのプロセスを経ているのだろうか。

以前から抱いていた疑問を、私は西村氏にぶつけました。
西村氏は、武満徹さんと演奏家との関係を例に挙げながら、
「やはりリハーサルや食事の際のコミュニケーションが大きく作用する」
と答えて下さいました。
そういう機会を重ねることで、多くを語らずとも分かり合えるそうです。
また、最低でも、初演を演奏家任せにするなど殆ど有り得ないことだと思うのですが、
そこで密なやり取りをした上で、他の演奏家が参考にすることが出来る、
納得出来る形でのよりベターな録音に残すことが重要とのことでした。
以前、西村氏が録音に残すことをこだわっている旨の発言を拝読したことがありましたが、
このような意図があったようです。
私は納得して、強く賛同したのですが、このようなプロセスは過渡期でもあり、
決して効率の良いものではないでしょうから、賛否両論があっても良い内容だと思います。

終演後、会場を出ようとした所、
いきなり西村氏に呼び止められ、握手して下さいました。
天にも舞い上がるような気持ちでした。
そして、先程の私の質問に対し、より詳細なご回答を頂きました。
なんと嬉しいことでしょう!
頭の中では、祝福のヘテロフォニックな大爆音が鳴り響いておりました。

話は前後しますが、
休憩時間には中川俊郎さんと殆ど独占状態でお話しすることが出来ました。
先ず、1年以上前に1度しかお会いしたことが無いにも拘らず、
中川さんから私の名前を呼んで下さったことに、これまた感激。
そして、《ヘイロウス(光輪)》の感想や近況報告などをしている中で、
中川さんが執筆された昨年の現音作曲新人賞本選会の批評の話になり、
私が批評を書いて下さったお礼を申し上げると、
「あ、田口さんの作品では、とにかく『旋律的創意』ということに触れたかったんですよ」
というようなことを仰り、これまた吃驚。
「旋律的創意」という表現が何を意図していたのか、その真意をお聴き出来ました。
失礼かも知れませんが、何処の馬の骨かも分からないような人の曲を、
ここまで詳細に覚えているものだろうか、という説明で、大変恐縮致しました。

「旋律的創意」とは、単に歌える美しいメロディという意味では当然ございません。
そのような音符の操作とも云える行為だけではなく、
もっと大きな、全てを包括するような曲の流れについて仰っているようでした。
ただでさえ語彙の乏しい、無駄に長くて貧相な文しか書けない私ですので、
中川さんのご発言を誰かに伝えるためにも一言一句メモしておけば良かったのですが、
私の中では一応、咀嚼出来ている内容です。

少し話が逸れるかも知れませんが、
旋律的創意という観点を私に教えて下さったのも、西村氏の音楽でした。
例えば、ピアノや金属打楽器のトレモロ。
西村氏が求めるこの奏法で発せられる音は、記譜されているもの以上に雄弁です。
言葉の綾かも知れませんが、私はトレモロを点の集合だとは捉えられません。
もっと有機的な流れ、一個一個の音の連なりではなく、
飽くまでも一本の線の音色のバリエーションだと捉えます。
(線は点の集合だと言われればそれまでなのですが)
ヴィブラートの揺れ方の違いのように、トレモロの表現も感じております。
LFOによる音色の変化、Rhodesのトレモロに近い解釈かも知れません。
勿論、楽器の構造上、記譜されたもの以外に発せられる音もございます。
多くを語らなくても、スコアにはこれらが刻印されているべきだと思いますし、
作曲家も演奏家も強く意識しなければならない内容だと思います。

そして、中川さんの音楽に対する態度。
春秋社から出ている『作曲家がゆく 西村朗対話集』の中でも、中川氏は語っておられます。
他人の作品に対してジャッジメントをしないで、それをそのまま無心に受け止めること。
批評することで相手を認めないという審判にも成り得ることに気付かなくてはならない。
これに私は強い共感をずっと覚えて来ました。
devil's advocateならまだしも、
相手を批判するということは、自分を制限することにもなるのではないか。
他者を受け入れられないことが、自分の可能性を狭めてはいないか。
そのような旨のことをお伝えしたら、中川さんは強く同意して下さいました。
これからも作曲を続けていこう、と強く思えた時間でした。

中川俊郎さんとは、12月21日に杉並公会堂・小ホールで開催される、
eX.16 マグナムトリオ、現代音楽を吹き飛ばす。』にて、
中川氏は委嘱作品、私は公募招待作品の初演がそれぞれ予定されております。
川島素晴さんと山根明季子さんが主宰する本公演。
大変楽しみです!

まだまだ書きたいことは沢山あるのですが、この辺で留めておきますね。
素敵な音楽を聴かせて下さった皆様、有難うございました!
これからも西村朗氏の音楽から多くを学び、勇気付けられることだろうと思います。
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