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テナーリコーダーとピアノのための《daydream dance》

13日(土)に「サンエールかごしま」で開催される、
リコーダー奏者・作曲家、吉嶺史晴氏と、ピアニスト、樋園亮氏のジョイントリサイタルにて、
拙作、テナーリコーダーとピアノのための《daydream dance》が初演されます。
今日は、この曲について、少しだけ書いてみたいと思います。

先月、『鹿児島国際大学リコーダー連続演奏会vol.4』にて初演された、
リコーダー二重奏のための《reflectors》を作曲した直後、5月頃だったでしょうか、
「テナーリコーダーとピアノによる『対舞』のような曲を書きたい」と思いました。
この時点で、演奏者として、吉嶺氏と樋園氏を想定しておりました。
吉嶺氏の自然と交感するかのようなダイナミックな音楽と、
樋園氏の一つ一つの音から伝わって来る繊細で豊かな音楽。
この二つを絡ませてみたくなりました。
念のために申し上げておくと、
お二人から委嘱があった訳ではなく、私が勝手に作曲したいと思っただけです。

昨年末から「夢魔」をテーマに作曲したいと考えていました。
ただ、3月11日の震災以降、「夢」をテーマにすることを躊躇うようになっていました。
その気持ちは今でも残っています。

「白昼夢なら、どうだろう」
ふと、そのように思い立ちました。
別に、現在の生活を比喩している訳ではありません。
完全なファンタジーとも違うような「白昼夢」なら曲のテーマに出来そうだったのです。
理由や裏付けは、特にありません。
直感でした。

突然取り込まれた白昼夢の幻影的光景の中、ダイナミックに踊るような音楽。
私にとって、絶対音楽のようなタイトルも標題音楽のように感じられる現在、
普段から、標題音楽であっても、タイトルには文学的な意味合いよりも、
曲の構造や性格を表すものにしたいと思っているのですが、
(なので、4月に初演された《夜想曲》は逆に素直じゃないタイトルでした)
タイトルを《daydream dance》とした時、曲の全体像が浮かびました。
最初に漠然と考えたのは、
グルーピングされた拍数の中でピアノが最低音域のd音を3回鳴らすが、
その周期は不規則で、時には休符(スペース)も含まれ、
リコーダーは、このピアノの打楽器的なビートの上で自由に歌う、というものでした。
こうなって来ると、「鶏が先か、卵が先か」という話になって来るのですが、
微妙にリンクしながら同時進行で、もしくは、並行世界で考えているような感じです。

ここから着想を温めて、結果として、
8-5-7-4-3-8-5-7-4-2という「疑似ターラ」で構成される曲となりました。
「ターラ」とは、インド音楽においてリズムの周期性を示す言葉で、
実際には、インド音楽だけでなく、メシアンや西村朗氏の作品を参考にしました。
譜面を見ただけでは、西村氏の作品に近いものを感じられるかも知れませんが、
実際に出て来る音楽は、(レベルや才能の違いだけでなく)違うものになっている筈です。
尊敬する田中公平先生の同級生ということで、
一番最初に意識した現代音楽作曲家が西村氏だった訳で、
その影響を強く受けているとは思うのですが、
どろどろとした感触のアジアらしさというか、呪術的要素というか、
その類は拙作から排除したいと今は考えています。

リコーダーは、記譜上では、特殊奏法の指示は殆どありません。
ただ、そこは吉嶺氏による演奏ですから、
通常の符頭の音符であっても、適した音を選んで下さっています。
後半の短い即興部分も、ご自身を誇示する演奏ではなく、
曲を考慮した上でのアプローチをして下さっているように私は感じております。
また、どうしても音量差が出てしまう編成ではありますが、
作曲時やリハーサルにおいて、吉嶺氏が解決策を色々と提示して下さいました。
おかげで、ピアニストが遠慮しなくても良い曲になったのでは、と考えております。

ピアノは、三柴理氏のアプローチを参考にしました。
私がピアノに強い興味を持つきっかけとなったピアニストです。
途中、オクターブの違いはあれ、d音とa音しか弾かない箇所があるのですが、
ここでの樋園氏の演奏に、私は驚きました。
クレシェンドの表現も、本当に豊かです。
作曲時、最低音域でのピアノの鳴り方について、
樋園氏が実演を交えながら説明、アドバイスをして下さいました。
大変有意義な体験でした。

スコアには、フラット二つの調号が付いています。
臨時記号も、f音にシャープが付くか(g音にフラットが付くか)というものに限定して、
トーナルというよりかは、モーダルな8音による音列のイメージが作曲の背景にあります。
これは、吉松隆氏が展開されていた「モード・クラスター」を参考にしています。
吉松氏は、それぞれの音の間に微かな引力や反発力がある旋法を
音列のように操作することの無意味さ、危険性を唱えていらっしゃいますが、
今回の曲では、寧ろ、そこを強調して使っています。

曲中には「Allegro vivace e misterioso(快活に、かつ、神秘的に)」という
やや珍しい演奏上の指示がありますが、
これは、曲の性格を表わす上で欠かせない言葉となっています。

色々と書いて参りましたが、この曲を要約すると、ここに辿り着きます。
上述の内容(文学的な意味合い云々)と矛盾するかも知れませんが、
プログラムノートよりも、こちらを見て頂ければ、より伝わるのではないかと思います。
コンサートは、作曲家の研究成果を披露する場ではないのですから。
求道も結構なことですが、それに付き合わせるのはどうかと。
この辺りは、第26回現音作曲新人賞本選会後、
某作曲家さんから突然頂いたメールに書いてあった、
「コンクールを品評会ではなく演奏会として捉えて、本物の音楽を聴かせてくれた」
という勿体無いお言葉も影響している筈です。
そう云えば、「現音のコンクールで、こういう曲が選ばれることがあるの?」
みたいな反応もありましたね。

音楽性(コンテンツ)は二の次でも、
出演者のキャラ(メディア)に惹かれてご来場頂くのは仕合わせなことだと、
私は思います。
  これに関しては、
  AZUMA HITOMIさんと渋谷慶一郎さんの対談でも触れられていて、
  私は大変面白い内容だと思いました。

閑話休題。
この曲について、吉嶺氏が、こちらこちらのブログに書いて下さっています。
「いわゆる『現代音楽』とは違います」というお言葉を吉嶺氏から頂けたのが、
大変嬉しかったです。
私自身、これはプログレだと考えていますから。
現代音楽ではなくプログレだと思えるものを作曲出来た時じゃないと駄目みたいです、
拙作の場合。

初演は、日付が変わって、2日後となりました。
吉嶺氏と樋園氏が、きっと美しい白昼夢に誘って下さることでしょう。

公演の詳細は、こちらをご覧下さいませ。
また、10日付の南日本新聞15面に、
吉嶺氏と樋園氏のインタビュー記事が掲載されています。

お盆のお忙しい時期かとは存じますが、
皆様のご来場を、私も、心よりお待ち申し上げております。
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