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季報。

10/11付の西日本新聞13面に、九州大学大学院教授の中村滋延先生による『音楽季報』が掲載されました。
「芸術創造~地方での新たな可能性示唆」というテーマで、
前半は山口情報芸術センター(YCAM)開館10周年記念イベントについて、
後半は私、田口をご紹介下さいました。

今回、私を取り上げて下さったのは、飽くまでも鹿児島の現状の一例として、だと思います。
例えば、今年3月に九州大学大学院芸術工学研究院の主催で開かれたシンポジウムでは、
「九州の地域性を考慮した音楽文化創成」がテーマとなっていましたが、
その中で、鹿児島国際大学教授の久保禎先生は、
鹿児島では、東京などで学んだ若い演奏家が現代日本作曲家の作品を盛んに演奏して、
地元紙も定期的に音楽批評を掲載するようになったことを紹介されました。
「音楽活動は創作-演奏-聴取(批評)の円環が合って成立する」と久保先生は主張されていますが、
先生の世代が現役として最前線で頑張っていらっしゃるおかげで、
私などの世代がこうして、地方に住みながら現代音楽作品の発表を行うことが出来ております。
また、上述の中村先生は今年6月、朝日新聞への寄稿で福岡の音楽文化の問題点を挙げる一方、
「同じ九州でも、鹿児島は熱い」とご紹介下さいました。
このような流れがあった上での私の紹介だったことをご理解頂ければ幸いです。

中村先生は先月、鹿児島市で浅生典子さんと片倉聖さんが開催した、
FLUTE AND OBOE VOL.7~現代のコンサート』にご来場下さいましたが、
これも、鹿児島の現状の一例を実際に観てみたい、聴いてみたいという目的があったそうです。
フルート、オーボエ、ピアノのための拙作《虹蛇》については、以下のように書いて下さいました。
「それぞれの楽器の魅力を存分に引き出し、
 現代音楽的でありながらクラシックになじんだ耳をも惹きつける稀有な作品」

さて、この記事には「地方のハンディをインターネットの活用によって克服」とありますが、
このこと自体は、あらゆる分野で既に行われているだろうと思います。
ただ、多くの現代音楽作品は、未だに、飽くまでライブで演奏されることを前提としています。
しかも、東京や著名音楽家が関わる音楽祭などの枠組みの中で演奏されていない作品は、
まるで存在しなかったかのように扱われている印象も受けますが、
これも、飽くまでライブを客席で聴かないと評価出来ない習慣が影響しているように思われます。
サントリー音楽財団創設40周年記念としてアルテスパブリッシングから出版された、
日本の作曲2000-2009』の96頁では、音楽学者・音楽評論家の楢崎洋子氏が、
「制度からはなれたところに目を向けると知られざる作品がそこに埋もれている、というわけでもない」
と発言されており、仕方ないこととはいえ、半ば諦めの気持ちで読むことでした。

なので、鹿屋に住みながら、
(国内だと)東京での演奏機会を如何にセッティングするかが問題となりますが、
現時点では、演奏家さんのご厚意(新作委嘱)による所が大きいです。
ちなみに、今年の拙作(作曲作品に限る)の上演回数は、私が把握している範囲で、
鹿児島が5回、東京が12回、それ以外の国内が6回、ドイツが2回となっています。
海外で出版された作品や委嘱作品の再演については、その都度、私まで連絡が来る訳ではないので、
もしかしたら、実際はこれよりも多いかも知れません。
計25公演というのは、現代音楽業界においてまだまだ少ない方ですし、その作品の質を問う必要もあります。
量が質を生むように、「オーバーフロウした状態で奇跡的に何が生まれるか」に賭けている者としては、
入魂の作品を一年に一作だけ作るような生き方は、決して望みませんけど。

上述のインターネットの活用に関しては、
「ブログやSNSを通して自身の作品情報や活動状況を積極的に公開・発言」という記述がありましたが、
これについて、記事を読んで下さった方から、
「ブログとFacebookは分かるが、そこにTwitterも含まれるのか?」というご質問を頂きました。
この質問の意図が分からず、興味のある方は、以下のリンク先をご覧下さい。
https://twitter.com/t_AGCH
http://twilog.org/t_AGCH

その方は、私がTwitterで音楽に関する投稿を殆どしていないことを指摘したかったのでしょうが、
一般大学すら卒業していない私なりに考えがあってのことなのです。
Twitterに限らず、このブログやFacebookにも当てはまることなのですが、
私が伺った鹿児島県内の公演について書くことは、実は、殆どございません。
どうしても感想を書きたい、演奏された現代曲を紹介したいという衝動に駆られた時は別ですが、
筆の拙さもあって、レポートを書いた所で私の音楽観は伝わらない、と考えているためです。
私が音楽に取り組んでいる目的は啓蒙活動などでは決してないので、
自身のスタンスが伝わらないことに時間を費やすつもりはございません。

例えば、東京で開催された公演の感想や批評らしきものをネット上で披露される人はそれなりにいらして、
気になっている公演の深夜や翌日に拝読するのを私も楽しみに致しておりますが、
出演者や演奏曲目に関する情報を私なりに持っているから、楽しむことが出来るのでしょう。
投稿者自身との面識もあれば、理解は深まるかも知れません。
でも、鹿児島や近隣の県で開催された公演について同様の記事を日本語で書いた場合、
東京や大阪、名古屋などにお住まいの方は、どれだけ興味を持ち、理解しようとするでしょうか。
出演者や演奏曲目に関する情報を補完しようとすればするほど、私の筆力では冗長さを増すだけです。
実際の演奏を想像しながら読んで頂くことが望めない以上、
私がそこで何を感じ取ったか、そのように仕向けた私の音楽観までは伝わらないのではないか、
という諦念がございます。

そこで、私が力を入れているのが、大好きなアニメやラジオの実況ツイートなのです。
いや、そもそもは好きでやっていただけなんですが、拙作をレパートリーとする、
美少女ハーレムアニメに全く興味の無い演奏家さんから指摘されたのです。
「スコアだけでは分からない(フェチ的な)部分を読み解く参考になる」と。
冗談というか、私を小馬鹿にしていただけかも知れませんが、
番組が始まってからツイートの間隔がどのように変化するかまで指摘されて、
その方が発言された本来の意図なんてどうでもよくなり、
私を理解するのに活用出来るということは、強ち嘘ではないだろうと思うようになりました。
相手を理解しようとするのに酒席が有効だという俗説に似ているかも知れません。
好きな異性のタイプや年収など、下世話なことばかり訊き出そうとする、アレです。
東京方面での酒席に参加出来る機会が限られている私が、
自分を曝け出すチャンスが実況ツイートである、と申しましょうか。
まったく、小学生は最高だぜ!!」という名台詞をツイートした時は、流石に心配されてしまいましたが。

このことは現代美術家、Mr.氏のブランディングを参考にした、というのは嘘に聞こえるでしょうか。
あの連投ツイートが名刺代わりになったこともありますからね。
逆に、リムーブしていく現代音楽関係者も少なくないですが、
そういう方はFacebookで繋がって頂ければ、私としては全く問題ございません。
嫌われたって仕方ないことを率先して行っている訳ですから。
私だって、興味の無いツイートがタイムラインを埋めたらリムーブしたくなりますもの。
それよりも、同じアニメ作品を好きで繋がった方々が、
YouTubeSoundCloudで拙作を聴いて下さり、しかも、感想ツイートまでして下さることが、
何よりも嬉しくてたまらないのです(凡百な現代音楽業界専用批評より内容が鋭いこともある)

このような回答をした所、先程ご紹介した方は、
「モーツァルトを練習している時に書簡集を読むようなものかと、思わず頷いた」
というような趣旨のリプライを送って下さいました。
私の方こそ、思わず頷いてしまいましたが、真剣な話、
自作の読み解きに必要な情報を、私はかなり提示している方だと思うのですが。

中村先生は、私が独自の音楽文化コミュニティーを作ろうとしている試みを、
「今後、地方における芸術創造活動の、新たなモデルをつくりそうな予感を与えてくれる」
と評価して下さいました。
こういう話を東京ですると「会社でも作る気か?」と馬鹿にされることもありましたけど、
東京で拙作が初めて演奏された2009年のコンクール本選会よりも前から意識していたことを、
公の媒体で言葉にして頂けたことが、とっても嬉しいです。
こうした態度は、逆に鹿児島では受け入れられていないように感じることもありますけど、
全員が面白がって下さる状況は、それはそれで守りに入っている証でしょうから、
鹿児島や東京に限らず、賛否両論が上手い具合に分かれて、
私なんて眼中に無さそうな方々が目に入って来る現状は、大変好ましいことだろうと考えています。

以前は「邁進」という言葉に視野の狭さを感じて、使うことを避けていましたが、
今は、芸術(ART)に邁進したい気持ちでいっぱいです。
作曲技法の興味こそあれ、常に掲げているテーマや音楽で表現したい対象が全く無い私にとって、
先日紹介した村上隆氏の著書『創造力なき日本-アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」』にある、
「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表する」(169頁)は、
聴くだけではコンセプトの全体像を読み取れないような作品を書いている限り、
もしかしたら、難題であり続けるのかも知れません。
でも、取り敢えずのブランディングを成功させてから脱却しようとするまでの期間が短いだけでなく、
それ程の作品を書かずともデビューやブレークまでの準備期間が短過ぎるのが最近の傾向のように、
自分のことを棚に上げながら感じている昨今。
素晴らしい音楽家との出逢いを作曲する最大のきっかけとして、田舎でコツコツと地味に筆を進めているのは、
スローライフやパラダイムシフトなどの言葉を使わずとも、意外と悪くないように思っています。
お世話になっている東京の作曲家さんが昨年下さったメールには、
「君は未だ一合目にも辿り着けていないが、他の小さな山の標高よりは既に高い所に居る」
といった内容が書いてあり、大変励まされました。

いつも以上に長々と書いてしまいました。
今回の記事掲載もまた糧として、今後も作曲を頑張って参ります。
中村先生、最後まで駄文を読んで下さった皆様、ありがとうございました。

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10/5、上田希さんが京都のカフェ・モンタージュで演奏して下さった、独奏クラリネットのための《-ade》です。
是非とも、お聴き下さいませ。

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