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前半。

THE IDOLM@STER 7th ANNIVERSARY 765PRO ALLSTARS みんなといっしょに!2

日付変わって、今日は2013年5月23日。
私が最も音楽に感動した日から、もう11ヶ月が経ったのですね。
http://greenhorn2011.blog24.fc2.com/blog-entry-231.html
http://greenhorn2011.blog24.fc2.com/blog-entry-232.html

さて。
先日のブログで「上半期の総括は、また後日…」と書きましたが、
鹿屋に帰って来るまでは物凄い長文を書く気でいたものの、
実際帰って来てみたら日常のやることが多く、下半期の初演予定も1曲増えて、
なかなか振り返るどころではなくなってしまいました。

なので、予定よりは短めになるかと思いますが、総括をしてみたいと思います。

上半期に初演されたのは、次の6曲。
6曲中5曲が委嘱新作、もう1曲は過去に受賞したコンクールでの新作披露でした。

inner circuit》 ピアノ:伊藤憲孝
水彩》 アルトフルート:永井由比、ギター:山田岳
《螢》 ソプラノ:溝淵加奈枝、ヴィブラフォン:會田瑞樹
《Baby's Breath》 マンドリン:望月豪、ピアノ:鷹羽弘晃
《エリクサー》 ギター:大坪純平、山田岳
パテラ》 アルトサクソフォン:椿義治、ギター:大坪純平

すらすらと作曲出来るタイプではないので、この曲数をこなせるか心配でしたけど、
お話を頂いてから数ヶ月はぼんやり考えるだけの余裕は保ちながら、
初演の約2ヶ月前には、それぞれ何とか脱稿出来ました。

上述の6曲ですが、六部作のような考えで取り組みました。
共通しているのは、奏法を含む技法の探求です。
以前から用いているシステム、これはセリーの延長線上にあるようなものですが、
もっと洗練させて、フリーハンドでは決して到達出来ないような音楽に辿り着きたいと思い、
そのためには、ある種の違和感や冗長さをも許容してしまおうという態度でした。
技術に偏った態度を心配される方もいらっしゃいましたが、
結果はどうあれ、そこまで徹底することが出来たのは良い機会となりました。

ただ、もっと音楽の内容、語り口と申しましょうか、そういう点に配慮すべきだったと反省していますし、
東京では演奏されていませんが、昨年の《爪紅》のように息遣いのある音楽もまた意識し直したいです。
(名古屋公演にご来場された方から、時間の感覚について質問されたことは貴重な体験でした)

思い描いた音楽と実際の音楽の間に大きな差が感じられなかったからか、
ご批判も意外とすんなりと受け入れられた(聞き流せた?)ように思います。
普段なら進んで自分の非を認めたい私でも、絶対に許せない本番がたまにはありますけどね。
それは演奏の内容よりも、こちらが意図していないことを勝手に語られた場合が殆どでしょうか。

また、最後に作曲した《パテラ》は特別な意図からフリーハンドに近い作曲となりましたが、
実際に初演されるまで、何処か心許ない気持ちが無くなりませんでした。
でも、これって、普段のシステムを用いた作曲に馴れ切って、妄信的になっている証拠だと思います。
自分の作曲そのものを最近は疑っていなかったのではないか?
フリーハンドで作曲することによって気付かされました。

《inner circuit》と《エリクサー》で初めて奏法の探求に取り組みましたが、
邦楽器のために初めて作曲した時も言われましたが、
一気にレベル1に戻ってしまうのはどうにか出来ないものか、気になっています。
これに関しても、上述の語り口への意識の持ち方次第ではないかと考えていますけど。

余談ですが、先日、京橋のギャラリーを幾つか梯子する中で、
GALLERY b.TOKYOで開催されていた「加藤郁美展」が特に印象的でした。
どのような経歴の方なのか分からないままに拝見したのですが、
「上昇の為の降下」や「FACE#01」といった抽象的な作品の前に居る時間が一番心地好くて、
少しでも何かを見せようとしている作品は、どうも受け付けませんでした。
加藤さんの中では、何らかの意図や表現したい対象もあったのかも知れませんが、
こちらに何かを想像させることすらしない、そんな態度の作品であって欲しい、
なんて希望を持ちながら見ることでした。

このように感じるのは、最近の作曲する態度が反映されているためでしょう。
ある公演で「作曲家の主情に迫る」と謳われるものがありました。
それは、冷静な楽曲分析を疎かにしない彼が作品と対峙する際の大切なポリシーで、
楽譜から読み取ったもの、作曲者との会話から読み取ったものが共存した演奏をして下さるので、
私はいつも楽しみにしているのですが、皆が皆、彼と同じ視点を持っている筈も無く、
作曲者の精神の読み解きが言い訳に使われているように感じられる場面も少なくありません。
「私はこう解釈しました」で全てが通るとでも思っているような…。

主情を表現対象として考えていない私だって、
方眼紙上のドットの操作だけで音楽を捉えている訳では決してありませんが、
造形の面白さが軽んじられているように思える状況は、何だか淋しいです。
とは云え、作曲も演奏も批評も、全員に当てはまる話ではないでしょうから、
目に入り易い所がそういうムードなだけだと多少は楽観視しています…。

こういう点においても、作曲家の久保禎先生が拙作のことを、
「幾何学的にして耽美な固有の空間」と評して下さったのは、まさに的確な表現だと思うのです。

しかしながら、拙作はいつまで「惜しい」ままなのでしょうか。
現代音楽を含むクラシックの視点から見た際の「惜しい」という評価を、
実は気に入っている私も居るんですけどね。
天邪鬼というか、詮無い贅沢さです。

下半期の初演予定は6曲、そのうちの3曲は鹿児島で初演されます。
旧作を再演して頂けるお話や、思いも寄らなかった国での上演のお話も伺っております。
いずれも、現時点で発表出来ないものばかりですが…。

来年はなかなか大きな委嘱のお話も頂いていますし、
もしかしたら、年末には県外で自主企画を開催するかも知れません。
(会場や出演者の選定で、既に何人かの方に相談させて頂いております)

上半期の初演で印象的だったのは、
終演後に「もっと自分に自信を持ちなさい」といったお言葉をよく頂いたことです。
それだけ私の筆が迷走しているように感じられたのでしょう。
でも、鹿屋の友人に言わせれば、私は自信の塊にしか映らないそうです。
自分の中にあるものを切って差し出すような作曲ではないので、
まだ若い訳ですし、どんどん吸収して、挑戦したいだけなんですけどね。
ただ、喜んでいる時でも自らを貶めているかのような印象を与える文章を書く癖は、
どうにかした方が良いのかも知れませんけど。

最後にもう一つ。
つい先日、友人から頂いたメールに、昨年初演された拙作に好きなものがあると書いてありました。
ゲネプロの録音をiPodに入れて聴いてくれているようですが、
改訂初演も終わっているその曲を、私は未だに書き直し続けているのです。
作品としての完成度が低いから? 現代音楽関係者の受けが悪かったから?
でも、この曲は「現代音楽はロックに敗北し続ける」というテーマで作ったもので、
私が改訂しようとしている動機そのものが間違っていたかも知れない、
今ではそのように感じるようになりました。

私は「邁進」という言葉が苦手で、どうも視野が狭い様子を表しているように感じられるためですが、
いつの間にか私も邁進してしまっていたのでしょう。
もしかしたら、友人からのメールが無かったら、
語り口に配慮した作曲を心掛けようとは思えなかったかも知れません。

取り留めの無い総括となりました。
これから先、何処か一ヶ所でも面白いと感じて頂ける曲を作れたら良いのですが…。

このブログをアップする前に『洪水』の第八号、
湯浅譲二さんが特集されている雑誌をパラパラと読み返しました。
ウィットに富む、どこかお醤油を垂らしたような実験精神を私も持ち続けたいです。

最後まで読んで下さり、誠に有難うございました。
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