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三年。

どもっヾ(´ω`=´ω`)ノ自分です。

2009年11月16日、
東京オペラシティ・リサイタルホールで開催された『第26回現音作曲新人賞本選会』
拙作が初めて現代音楽の有料演奏会で演奏された日から、今日で3年が経ちました。

当時27歳、遅いスタート。
この3年間は長くも感じられましたし、たった3年程度か・・・という気持ちもあります。
でも、特に昨年7月以降は、濃厚な作曲活動が出来ていると思います。
これはもう、ご縁のおかげとしか云い様がありません。

今年4月、とある作曲家さんから、次のようなメッセージを頂きました。
昨年、私が最も衝撃を受けた作品の一つを書かれた方ということもあり、
その内容に恐縮し、思わず、PCに向かって土下座してしまいました。
勝手ながら、抜粋して、ご紹介させて頂きます。

   (貴方の曲は)まず、しっかりと入念に音楽作りがされていますし、
   演奏家がどうアプローチして良いか、その取っ掛かりがきちんとあると思いました。
   それと、やはり「音楽の文法」でしっかりと考えていらっしゃると感じました。
     (中略)
   幾分不器用ながらも、演奏家や聴衆とともに、
   音でまだ見えぬ世界を切り開こうとする清々しい意志を感じました。
   音と空間に呼吸があり、生きていたと思います。
   やはり様々な優れた演奏家との交流が、そうさせているのかとも思いました。

ご存知の通り(?)、特にTwitterでの話ですが、私は、作曲上の主張を殆ど言葉にしません。
作曲に対する態度も明らかにしません。
演奏会等で拙作が気になって検索したとしても、きっと、作品に関する情報は得られず、
アイマスとアイマスとアイマスとアイマスとプリキュアのことが少し分かる程度ではないでしょうか。

しかし、このメッセージは、私の音楽を聴いて下さる方が居ることを教えてくれました。
終演後に落ち込んでしまった公演に関するものでしたので、尚更に嬉しかったですし。
今日のブログも、この引用だけで良いくらいです!(でも、まだ書きますけど!)

この中でも触れられている「音楽の文法」ということを、私は強く意識しています。
これには2つのきっかけがありました。
1つは、2010年の『第27回現音作曲新人賞本選会』で演奏された拙作が、
あまりに私小説的、かつ、フリーハンドで思うままに書かれたもので、
素敵に演奏して頂いたものの、本番を聴いていて、自分でも白けてしまったため。
少なくとも現代音楽のフィールドにおいて、こういう音楽を発表する必要は無いと思いました。
もう1つも、同じく2010年に鹿児島で拙作が2曲演奏された公演の後、
メールで拙作への批判を下さった方がいらっしゃったのですが、
とにかく構造に対して、厳しく批判されていました。
構造が全くなっていない曲は音楽作品に値しない、と。
反発もしましたが、雑多に拡張された現代音楽も西洋音楽の延長線上にあることを思うと、
如何に自由な構造も、偶発的に生まれたのではなく、西洋の既存の音楽構造との距離感で評価され、
そこを拠り所に聴かれるという事実を私一人では覆せない訳で、
(「貴方程度の作曲家がどんなに逆立ちしたって、音楽の歴史には全く影響が無い」とも書いてありました)
たとえ、作曲前に観念的な計画は皆無だったとしても、作曲後にどのような思考が働いたかを吟味し、
現代音楽の地図上でどのような位置にあるのかを考察することは不可欠だと、
そのための勉強を惜しんではいけないと、このメールのおかげで思い知ることが出来ました。
ファッションやアイテムとしての日本趣味や東アジア趣味を私は軽蔑しますが、
現代音楽における東洋のあり方もまた、同様の考察が必要でしょう。
私の現状では全く足りませんので、自戒を込めて・・・。。

私が作曲する際、頭の片隅には2つの言葉があります。
一つは「個体発生は系統発生を繰り返す」という、エルンスト・ヘッケルの言葉。
もう一つは「脳髄は物を考える処に非ず」という、夢野久作『ドグラ・マグラ』の一節。
これらは、KENSOのリーダーであり、医学博士(大脳生理学)でもある清水義央氏の影響です。

また、私の作曲には数理的なシステムが用いられますが、これに関しても、2つの言葉を意識しています。
一つは「数学は高度に感覚的な学問であると思う」という、小平邦彦氏の言葉。
もう一つは「複雑なアイディアを提示するためには複雑なシステムを使わなくてはいけない。
それが一番単純なことだと思っています」という、松平頼暁氏の言葉。
言葉ではありませんが、オーガニック・モーションによる作曲だと思われる西村朗氏が、
クセナキスやペンデレツキを通過していたこともまた、私にとっては示唆に富むモデルだと感じられます。

私のシステムは、和声や対位法を駆使してフーガを書くよりかは易しいものです。
音響やオーケストレーションを導き出すためにコンピュータを用いるようなシステムでもありませんし、
かなり旧来的な、時代おくれで頑固な作曲かも知れません。
また、2年前の『第2回広島作曲コンクール本選演奏会』でゲスト審査員の夏田昌和氏が、
「君がやっていることは、結局はセリーじゃないか」と私に仰ったこと、
「セリー的な発想は、もうおしまいにして良いと思う」みたいな内容を全体に向けて仰ったことを踏まえて、
トータルセリエールの発想とは違う所に行きたいと試験を繰り返していますが、
私が多用する運指から音高を決める過程など、セリーの延長線上に留まったままだとも言えるでしょう。

『第26回現音作曲新人賞本選会』の際、私は、
「深層心理の庭に咲く花へ届く音楽」といったことを書きました。
色々な影響を十把ひとからげにしたような言葉ですけど、今も変わらない正直な気持ちです。
ミルクレープを食べる感じで、深層心理の周りのビニールを剥がして、
重層化された心象風景をフォークで一突きしたいです。

私は現代音楽にこだわりたいです。
極端な話、現代音楽の作曲も自主企画も、やらなかった所で誰も困りません(委嘱者さんは困るでしょうが)
でも、だからこそ!
現代音楽は、実はそのクオリティについて言い訳が利かない世界でもあると思います。
売れるための細工が要らない、大衆のニーズに合わせる必要が無いということは、
それだけに意識の高さ、感性および技術が厳しく問われる分野だと、私は考えております。
締切はあるものの、商業音楽のそれと比べると、かなり緩いのではないでしょうか。
生活について考え始めると、正直、毎日が辛いです。
でも、クラシックと無縁だったくせに現代音楽に魅せられて、その作曲が楽しくて仕方ないのも事実です。
それならば、命ある限りは、作品を生み続けて参ります!
作曲の場合、死後の世界でも戦わなくてはなりませんし!

今日、金沢にて、ピアニストの伊藤憲孝さんが《雫》(2010/2012)を演奏して下さった筈です。
明日も、同じく金沢のしいのき迎賓館で演奏して下さる予定です。
そして、来月1日には、
東京のトッパンホールで開催される『リベルテ マンドリンオーケストラ 第9回定期演奏会』にて、
マンドリン協奏曲《六花》が初演されます。
マンドリン独奏は望月豪さん、指揮は鷹羽弘晃さんです。
四重奏までしか書いたことの無かった私が、その10倍近い人数のための作品に初めて挑みました。
20分近い長さを持った曲というのも、初めてです。
どんなに良い演奏をして頂いても、曲が悪くて盛大にずっこける危険性は、かなり大きいでしょう。
祈る気持ちで、毎回の練習報告を待っています。

4年目は、どんな出逢いをきっかけにして、どんな作曲が出来るか。
長年の課題であるユーモアの欠落。
もう少し楽しいことを思いつけたら良いのですが。
自然体で書いて「奇」となれば良いのですが。

現在作曲中のピアノ曲。
タイトルは《inner circuit》となる予定です。
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まとめ【三年。】

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