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空虚。

どもっ(・◇・)ゞ自分です。

art gallery 利重で開催中の「中野則子 陶展『Colors of the wind -BLUE-』」に伺いました(*´∀`)ノ
真ん中の台の一番上、入口から見て一番右のコップの碧が特に素敵でした。
(こういう時に購入を即決出来ない自分の財力が悔しい、、、)

28日(日)までの開催ですので、未だの方は是非どうぞ!

さて。
利重さんにお伺いすると、ついつい話に夢中になって、長居してしまいます。
今日も3時間強は居たでしょうか。

その中で話に出たことの一つが、哲学です。
個人様式の哲学、思想と申しましょうか。

実は、夏頃から(主に現代音楽関係者に)相談しているのが、この哲学の話。
論文に出来るような、のれんとして掲げるような通底するコンセプトも持っておらず、
拙作には作曲哲学なるものが全く無いのではないか、というものです。

アップテンポな曲が多く、演奏家さんの素晴らしいパフォーマンスのおかげで、
拙作について、かっこいいというようなご感想を頂くことがありまして、大変嬉しいことではあるのですが、
「その一方で、拙作は空虚なものではないだろうか?」という疑問が頭を離れません。
(これはこれで、自惚れに他ならないかも知れませんが、、、)

ある演奏家さんは、
「では、かっこよさだけで語れる現代音楽がどれだけあるのか?」という問いを返しました。

ある作曲家さんは、
「哲学の無い人が、奏法や作曲上のシステムに固執するだろうか?」という問いを返しました。

そうかも知れないけど、
とにかく拙作、いや、私自身にぽっかりと欠けているものがあるように感じるのです。

月並みな話ですが、その一つが「人生経験」であることは確かでしょう。
同年代と比べて足りない経験については、もしかしたら、カバー出来るかも知れませんが、
先輩方と比べた時に敵わないのは致し方無いです。

昨年、東京で再演された邦楽器のための作品について、
「あまりに若い。音を書き過ぎている」というようなご批評を頂きました。
「それはまぁ、若いですから?」と思ったものの、
また、「若い時に音を詰め込めないと、引き算が出来なくなる」といった言葉を連想したものの、
この時から、若さゆえに足りないものについて意識するようになりました。
単なる背伸びですけど。。。

TwitterやFacebookのおかげで、
現代音楽に心血を注いでいる同年代の作曲家の存在を知ることが出来ましたが、
きっと、10年20年と経つに連れて、淘汰される人も増えていくでしょう。
やむなく作曲から遠ざからなければならない人も少なくはないでしょう。
自分が何処で何をやっているのかも、今は断言出来ません。

先達の活動年表を眺めながら、ロールモデルが辿った道と同じようには歩めずとも、
創作への執念が作品の圧力として顕れるであろう時に充実した創作を行なうためにも、
死後を含む先を見据えた今の活動が重要だと、最近になって思うようになりました。

急いでも手に入らないものでしょうから、開き直るのも一つの術だとは思いますが、
弱点の一つである(と同時に、武器の一つでもあって欲しい)ことには変わりない、
という意識を持って、作曲を続けて参ります。
(駄文を書く暇なんて無いんだから、とっとと作曲しなさい、って?)

このようなことを利重さんと話していて、先達との差の大きさを受け入れつつも、
焦る必要は無いような、凝り固まっていた肩がほぐれたような気が致しました。
勿論、気を緩めたり、そこから逃げたりしたら何にもなりませんけど!

art gallery 利重さんでの展示ですが、11月17日(土)から27日(火)は、
「ごうはらかなこ 夢の続きの続き 展」が開催されるとのこと。
以前から気になっている作家さんの一人ですので、今から楽しみです!(●´ω`●)
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コメント

「欠けている」ということにとても魅力を感じます。


そういえば戸田先生が「かけらくん」の本をお薦めしてたなあ。


埋まっても埋まっても、欠けていたいなあと思って生活してます。

コメント、ありがとうございます!
ご無沙汰してますが、如何お過ごしですか?

「欠けている」ことの魅力は私も感じます。
そのおかげで、すでにあるものが際立つことだってありますし、完全なんて有り得ませんから。

ただ、デリケートな話で、表現が難しいのですが、
ある意味で悪魔的な世界でもある芸術は、教育の実践現場ではないこともまた事実で、
人としての魅力が、そのまま作品や芸術家としての魅力とイコールにならないもどかしさがあります。
(現時点では、一般社会とも違う理不尽さが罷り通る印象です)

そして、もし弱点だと思ってしまった場合に放置せず、それを克服しようとすることは、
世の中の摂理に結局は辿り着くことになろうとも、必要な過程だとも考えます。
戸田先生の教えを借りれば、「努力に勝る天才なし」ではないですが、
これでも理想を夢見ての課題設定のつもりです。

いつもご来場くださり、有難うございます!
 先日は哲学のての字も持たない利重に、また長くお付き合い下さったようで・・・(^0_0^)

今日の記事、ふむふむと頷きながら拝見しました。

「哲学がない」とのことですが、田口さんはいつもしっかりとしたテーマをもって作品作りをしていらっしゃるじゃありませんか。

 私のイメージでは自分を「問う」ことが哲学なわけで、実験的な作品はそれはそれとして、表現したいものというのは、考え方だけではできあがらないような・・・。

日々問いかけながら進むうちに「田口」になっていくのでは。
利重との会話で、肩の力が緩んだようでしたら上々です。

Σ(゚∀゚ノ)ノキャー語ってしまった・・・! 利重・内

>ceramyさん
こちらこそ、いつもコメントを下さり、ありがとうございます!

哲学の話ですが、確か、利重さんから話を切り出されたと思います(*´∀`)ノ
先日の同級生お三方のお話を伺っていても、心地好い軽やかな言葉の中にも、
しっかりとしたものが込められているように感じられて、
背伸びしたって仕方ないとは思うものの、そういう人になりたいなぁ、と考えながら聞くことでした。

テーマを設定して作曲するようになったのは、若輩者なりに痛い目に遭ったことも大きいです。
何か辛辣な批判を受けた訳ではなく、大きなチャンスの機会に軟弱な作品を出してしまったことがあって、
リハーサル時の態度を思い返しても、何処か調子に乗っていたような気がするんです。
同じ轍を踏むまいと、この時を境に、創作に臨む姿勢を大きく変えました。

ご指摘の通り、哲学は、他者を様々に吸収しながら自分を問い続けることだと思いますし、
作品が考え方だけで出来上がらないのは確かなことでしょう。
実験的な作品だって、きっと、そのアイデアを思いついた時の熱量や、創作への情熱はあるでしょうから。
言葉の綾もあるでしょうが、どんなにロゴスの人間でも、そうだと思います。

今回のブログで書いたことは、同世代ではなく、やはり先輩方(特に戦前生まれ)と比べた時の印象です。
こればっかりは、年齢の問題だけでなく、体験して来たものがあまりに違い過ぎますもの。

ceramyさんが仰るように、
いつかふと、それこそ悩んでいたことすら忘れた頃に変化しているのかも知れませんね。
ケ・セラ・セラじゃないですけど。

それにしても、こうしてお話しさせて頂いたり、ブログに一度書いてしまったりすると、
「どうして悩んでいたんだろう?」と思うほどに、心が軽くなるものですね(*^▽^)/★*☆♪

また語りましょう!
ごうはらさんの作品展も、楽しみに致しております(((o(*゚▽゚*)o)))

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