記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

特殊。

どもっ(*^・ェ・)ノ自分です。

昨日のこと。

9月11日付の読売新聞(鹿児島12版)19面に、
池辺晋一郎氏による「特殊奏法の前に固執すべきもの」
という寄稿が掲載されているとTwitterで教えて頂き、帰りに購入しました(●´ω`●)

内容は、
楽器の特殊奏法のエキシビジョン(展示)にすぎず、
音楽的な実態が希薄な(若い作曲家の)作品に対する警鐘でしたが、
池辺氏のポジションというか、近作の傾向や態度を考えると予想の範疇の文章でした。

(実は、、、?)池辺氏の作品のファンということも関係するのか、私は賛同出来る内容でしたが、
特殊奏法を使った上で音楽的な実態(これもまた曖昧で危険な言葉ですが)のある音楽を目指すことも、
現代音楽の作曲家に課せられたミッションの一つかと思います。
それこそ、池辺氏の2010年の作品《ストラータVIII》などを聴くと、そのように強く思うのです。
http://www.jfcms.org/archives.html
(本来ならば、特殊奏法の有無は問題にすべきポイントではないのでしょう)

少なくとも現代音楽の分野においては、特殊奏法に積極的な演奏家も多く、
彼らのおかげで(繰り返しますが、現代音楽の分野においては)既に一般的となっている、
もはや「特殊」とは呼び難い特殊奏法も沢山あります。
それらから取捨選択して、時には発展させた奏法を用いるのは、
同世代の作曲家と比べると殆ど特殊奏法を使っていないであろう拙作においても、
積極的に試みていきたいことであります。
私たちの前には既に数多くの特殊奏法がある現状。
そこに魅力を感じた以上は、目を逸らすこともまた、作曲家としての罪でしょう、、、!

ただ、私が更に興味があるのは、
それらの特殊奏法を使いこなす演奏家の敏感な耳や、曲を解釈し尽くす能力です。
微細な音色の違いを聴き分けられるその感性で演奏するならば、
たとえ、従来の奏法のみで書かれた作品であっても、効果的な演奏になるのではないか?
私は、このようにいつも期待しております!(* ̄∇ ̄*)
(勿論、作曲家からの働き掛けが不可欠だとは思いますけど・・・)

特殊奏法に関して印象的だったことの一つ(以前も紹介したエピソードかも知れませんが)
とある拙作のちょうど真ん中辺りで、奏者が床を踏み鳴らす指示がありました。
使い古されている、いつものあれです。。。
これを聴いた現代音楽に精通している某氏が、
「それまではとても新鮮な音楽だったのに、この一発で、ただの現代音楽になってしまった」
と仰ったのです。
一概には云えないことではありますが、私にとっては天啓のような、
もしかしたら、今までで一番の「気付き」の機会を頂いたような気が致しました(((o(*゚▽゚*)o)))

特殊奏法を用いる危険性。
特殊奏法を用いない可能性。
対偶でも何でもいい亜種の命題。
これらの思考により消滅した将来性。

そもそも「特殊」って何だろう???と思います。
先月初演して頂いたヴィブラフォン独奏曲では、弓で奏することに固執しましたが、
これは、現代音楽をはじめ、アンサンブルの中でのヴィブラフォンの奏法としては、
メジャーなものだと私は考えておりました。
現に、この日演奏された作品の中でヴィブラフォンの弓奏を(ワンショット的に)用いたのは、
拙作以外に3曲(あれ?4曲?)ありましたから。
なので、私としては「ごく普通」のアプローチだと思いながら作曲したのですが、
昨日のブログで紹介した批評を含め、「特殊」と捉える方もいらっしゃったようです。
正直、私の方が戸惑ってしまう反応でした、、、(≡ω≡.)

いずれにせよ、特殊奏法を避けては通れない地点に既に立っている以上、
無意識化の志向であれ、一作ごとに変えても良いので、何らかの態度は既に取っている筈です。

特殊奏法の有無が話題になること自体、この分野の貧しさを露呈しているようにも感じますけど!

最後に。
それよりも、最近の池辺氏の室内楽曲を収録した作品集が早くリリースされることを期待しております!('▽'*)
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

t_AGCH's twitter

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

FC2カウンター

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。